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桜だより2007・お花見終了

毎年「桜だより」と称してここ数年ブログに桜の開花の様子を載せている。
それ以前はHP開設当初から写真のページに桜を載せていた。
毎年、毎年、それほど変わり映えがある画像でもないのに、である。

生まれが春のせいもあるかもしれない。
どこかで桜は自分の季節だと想っているからかもしれない。
桜の花が開くと、心が逸る。

ここにきて今年の「桜だより」もようやく終焉。
ただし、いつもと違うことがひとつ。
この「桜だより」の最終回は、目に見える桜ではない桜で終わることとしようと思う。

Sakura_img_noh_1 この春は能楽鑑賞に足繁く通った。
いくつか見比べたい同じタイトルの公演が続いていたせいもあった。
能楽三昧の卯月であった。

その中に、『西行桜』という作品の上演が3回。
それぞれに流派も違い、演出も違う。
そのうち蝋燭台の灯りを使った暗がりでの上演が2回。

山深くひっそりと生活している西行法師の元にも里から人々が桜を見に押し寄せる。 はじめは断る西行だが、しぶしぶ花見客を庭に招き入れることを承諾する。
ざわざわと花見をする人々をよそ目に西行が、

「花見んと、群れつつ人の来るのみぞ、あらた桜の咎にはあるける」

と、歌を詠めば、
桜の洞から老人が現れ、その「桜の咎」とは何かと? 
と改めて西行に問い、
そしてどのように感じようと桜の咎ではなく、見るものの心故であるという。

その老いた桜の精は西行に成就を請い、そしてひとしきり桜の名所をたたえ、舞い、やがて春の早い夜明けと共に消えていく...

桜がほぼ終わってしまった4月下旬の東京での2007年のお花見。
外に出れば春の夜、強風が吹く気まぐれな天気の中を帰路につく。
今まで目にしたものがすべて夢だったような気分。
そうして最後は老い木の花の精と共に淡い春が過ぎていく...

花に咎がないだけに、かつて20代の頃の私は花と向き合うことに燃えていた。 いくつもの季節を越し、今また、私は再びその場所に戻ろうとしている。 
ただし今度はゆっくりと、そして静かに...

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