眠らない音(追想)
東京の千秋楽が終わり、当初よりもはっきりした感想が載るブログが増えたように思う。 舞台は初見で千秋楽を取る方も多いので反応が出てくるのもゆっくりか。
さて千秋楽後の他人様の感想はちょっと置いておいて、私はどっぷりと自分の感慨に再度アクセス。
モノを創るということ。
単なるアレンジにとどまらず最初から組み立てていくこと。
いろいろあります。
きっと。
この「眠らない音」。 まだまだ荒削り。
良質のオペラなどの芸術品が冷たくもすべりのよい絹の布ならば、
「眠らない音」は木成の目の粗さがあるコットンのような感じ。
この先、どのように化けるのか、それはわからない。
もしかしたらコットンのままかもしれないけれど。
そんなことはわからない。
それより心にどこかで感激を受け取った人は、それを十分に味わうことで絹を好むものとは違う肌触りを知ることができるに違いない。
私は絹も木成の木綿もどちらも好き。
あの仮面の裏で悲しみに打ち震え、そして殻(服)を脱ぎ捨てれば七転八倒するほどの心の苦しみを表していた道化の心の姿に一瞬でも魅入られ、そしてその気持ちを贈り物として持って帰ったことを大切に思いたい。 (他にもいろいろあるけど。)
演劇論などはわかりません。
演出や台本の極意も知りません。
ダンステクニック? あれれ(>_<)
芝居の哲学? とぉ~んでもない。 まったくわかりません。
けれど、伝わるものは伝わるし、伝わらないものは伝わらない。
素になって観て、感じたなら、それでいい。
私は心の仮面を外してくれるような森山くんの踊りが好ましかった。
またそれは彼だけの仕事ではないだろうと。
そんな風に感じています。
ああ、本当に悲しいなぁ、道化の心...
人の何が悲しいって、
人は悲しすぎたり、苦しすぎると、それを自らの笑いにと変えてしまう。
そうして、もっと悲しいのは、何かにつけて鎧をさらに着けていく心。
木綿の喜び、絹の喜び..どちらも喜び。
決して”通”にはなりえない観劇者のわたし。
そして、麻なんかも大好きなのね~♥ わたし。<浮気もの♪
【追記】
木綿とか絹とか、、、て豆腐かい^^;
豆腐だったらゴマとかクルミもあるよね。 とひとりつっこんでみる。
つなぎには葛使ってますか?とか。
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