「眠らない音」を通してありがとう
眠らない愛
姿月あさと, 小林香, 高田浩
コロムビアミュージックエンタテインメント
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「眠らない音」の最終公演も終わりましたが、じっくりと作品を味わっていらっしゃる方も多いと思います。
私は東京公演のみでしたので早々に終わってしまいましたが福岡、大阪などでご覧になった方にはまだまだ記憶に新しいでしょう。
ここの感想を通じてブログにご紹介いただいたお礼に遅らばせながら改めてこちらにご紹介。 TBからも飛べますがまた思い起こして作品をかみしめたい方は訪ねてみてくださいませ。
『CAFE CENTRAL』 のあきこさま。
『Lavender's Garden』 のラベンダーさま。
ありがとうございました。 *(上記は各ブログの「眠らない音」の項目にリンクしてます)
最初に長くなると思い書かなかったシーンが時間が経ってから蘇ってきます。
その中でも詩人が立ち直るきっかけになったであろう何気なく月が語る絵本の1ページは今も地球上で繰り返されているでしょう。
そのシーンは砂漠を行く男ふたりが寝ている間に盗賊に襲われ、誰にも看取られることなく命を落としてしまう話。
そうして時間が過ぎてから男の死を知り絶望に嘆き悲しむ女の姿で舞台は暗転します。
このシーンは決して派手ではないのにハートにどきり、と突き刺さりました。
人生がまだまだ続く、と思っていた意気揚々とした男たちの命は彼らの持つ金品の為にあっという間に消えていったのです。
そうして、砂漠では彼らがどこの誰で、何の為にそこにいたのかさえも知られることなく、朽ちるのでしょう。
夜の砂漠を照らす月だけが起きたことを見ていたのでした。
地球上に生きている何億もの人間。
知られることもなく生まれては消えていく命のはかなさ。
人が誰でもどこかで通り過ぎていく絵のように想えました。
はかなさ、、、と尊さ。
泣いてくれる人のいる人生。
笑ってくれる人のいる人生。
まったくひとりの人生。
たくさんの人の中での人生。
たとえ小さき存在であっても、それぞれに大切な存在であるということ。
誰に認められなくても、その人自身にとっての大切な人生という「時」。
このシーンに出会ったときも、やはりどきりの後は胸が一杯になりました。
ここを読んで下さっている方の人生の絵本には何が描かれているのでしょう。
それはきっとそれぞれに美しい絵に違いありません。
たとえ、もしそれが苦い味であったとしても。
そうして私自身が描いていく絵は........まだまだ途中。
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コメント
ghさま
「眠らない音」を通してありがとう。読ませて
いただきました。
改めまして、ご紹介して下さり恐縮しております。
砂漠の旅人の場面、それぞれの人生があって
愛する人がいて、守るために戦いがあったりする
人間って悲しい。。。
囚人が残したメロディーもまた、人は死に逝く
時にどんな人生だったと思うのだろう。
生まれてきたからには死ぬまで歩きつづける。
どんな絵を描くのか、どんなメロディーを奏でるのか、わからないけれど。。。
音楽や芸術に触れることって、心の支えになっていくように思います。
gh~さまの、お話に「眠らない音」を思い返して
います。こちらこそ、ありがとうございました。
投稿: ラベンダー | 2005-11-15 22:28
改めてご紹介いただき、ありがとうございます。
ああ〜、眠らない音、終ったのですよね…。
私がすっかり、別のことで浮かれている間に……。
1度しか見られなかったのが、やっぱり残念でした。観た直後は、「?」な感じもあったのは否めませんが、おっしゃるように、日が経ってから、記憶の底から、寓話のエッセンスのようなものが顔をのぞかせる、不思議な作品でした。
砂漠のシーンでは、月を見ながら、男の無事を祈る女性の姿が、印象的でした。その月は、その時同時に、男の死を見てしまっているのですけどね…。
また、機会があれば、見てみたい舞台です。
投稿: あきこ | 2005-11-23 21:51
本当に日々「時」が過ぎるのは早いですね。
今はどんな絵を書き綴っておられますか?
もう少し時間をかけて再演され、練れてくるとしっくりくる場面が増えてくるかもしれませんね。
このブログ、亀の子行進ですので忘れた頃にまた他の感想も上がるかもしれません。
まだ「レミゼSP」「エリザ」も途中です ^^;
投稿: ♪~ | 2005-11-25 21:49