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2006-01-18

ベガーズ・オペラ (1-2)

beggers_p00 この観劇記録を1,2,ではなく1-1のように記したのは、一等最初に観た回での感覚をそのまま残しておきたかったから。 というわけで1-1,1-2は初見からのどちらかというと印象記。 
俳優さんの細々したことは記憶しきれずあまり触れていませんのであしからず。

この作品のチケット、チケット販売会社の抽選先行にはもれたけれど席種さえいとわなければ普通に買えてしまいました。 
出足がかなり遅かったようで記者会見で売り切れと言っていたのでびっくりしたくらい。
初見の回(平日マチネ)は観客の年齢層が高かったと書いたが中年ではなく、さらに上の年代、6、70代くらいのお客様層もかなりいらした。 

そして実はこの年代の観客層がよく笑っていたのが印象的だったのだ。 しかもご夫婦もちらほら。 そういう上の年齢の方がちゃんとお金を払って観に来て、一緒に笑い、また舞台と一体になって楽しんでいる姿を見るというのもなんだか嬉しい。 幅広い観客層に見守られての初演なのですね。
歴史的背景を吹っ飛ばして何百年の時を越えても、人の営みに関わることには変わらない部分がやっぱりあるのだ。 
劇中のベガー&脚本家のトムが意図した教訓よりももっとも強く響いたのは、実は変わらぬ人間の愚かさや生きることへの愛おしさなだろう。 どんな時代も生きることへと向かう人々のパワーへの賛歌に最後はトム自身も嫌々ながらに巻き込まれ、観客も参加しての大フィナーレとなる。 
さすが老俳優のラストシーンへの進言...という解釈もアリかな? 

そして風刺の効いた台詞が多いのに嫌味がない、というところも私のツボにはまった。 
苦い体験だが事実だからストレート。 そしてシェークスピアのように風刺するのにやたら苦労した時代のひねりまくった作品とはちょっと違うところもイイ♪

とにかく結婚して長い時間を経過したわが身としてはポーリー親子のやり取りやピーチャムの女と結婚に対する台詞には思わずニヤリとすることが多かった。 
別に未亡人になるのを待ってはいませんが、わたしは...♪ 
でも事実片方が生き残った場合、男性の方がすぐに弱ってしまう事は多くて、活き活きしちゃうのはやはり女性の方なのよね。  ふっふっふ。 
(もちろん結婚の話題だけでなく受けていたシーンはたくさんあるけれど、とにかく覚えきれていないので思い出したらまた書くやもしれません。)

今回はベガーとベガー演じる役の狭間まではこちらの余裕がなくよく観きれなかったが、かなり作りこんでいるのでアドリブでないアドリブのような台詞も違和感なく。
二幕目で舞台に戻りきらないベガー役者たちに「なにやってんだ、時間に始められない!」と怒鳴っていたトム(橋本さとし)も、休憩時間に食べたり飲んだりのモーリー(森公美子)も、限りなく18世紀ロンドンのベガーなのです。 
ジェイムスにいたっては通路で「え~っ、役者の村井というものですが...」と挨拶して握手を自らしていた模様(笑)。 汚すぎて誰だかわからないからすれ違っても誰も振り向かないわけ。 (きっと回を重ねるごとにそんなこともなく、観客もフレンドリーになっているに違いない。) 
そして最初なかなか誰が誰だか識別するのが難しい中でマッコリ(内野聖陽)だけは以外とわかりやすいのです。
何故なら、輪郭が骨ばっていてどちらかというと顔が角い男性というのは彼ひとり。 オープニングに階下で盗みをしているのを上から見てすぐにわかってしまいました。
マッコリは内気でドンくさいベガーなのか、マクヒースの仮面が脱げると最後のシーンではもったりもじもじ。 
カーテンコールで挨拶に立たされ「新年あけて最初の...(たぶん最初の舞台に来てくれて、というつもりだったか)」と言ったとたんにモーリーがすかさず「新年なんてないよ!」とひと言。 そしてそこに「新年なんてしんね~(知らない)」とおやじギャグ炸裂の村井@ジェームス(18世紀の英国だからね)。 
(-_-;)(-_-;)...(●⌒∇⌒●) 
そして再度マッコリの挨拶後、大フィナーレとなったのでした。 
一階はほぼオールスタンディングで終演。 

島田歌穂は文句なくどのシーンを見ても上手いし、怪しく怖いダイアナ・トレイプスが異様に似合うミセス・ピーチャムとの二役(モーリーも入れて三役)を演じた森公美子は、レミゼのテナルディエ婦人とはまったく違う二役を見せてくれて、その変身ぶりにも驚く。 そして高嶋兄は何故にあの鬘があんなにも似合うのか。 まるで対の兄弟のようなハモりぶりの村井パパとのシーンもGoo!...エトセトラ、エトセトラ。 
次回はもう少し細かいところもじっくり観たい。

ところでこの作品心に残る歌がない、という感想が多いようだ。
音楽に関してはさらにド素人の私だが、使われている歌(曲)は一曲歌い上げる作品よりもある意味、表現として難しいのでは?とちょっと感じた次第。 
使われている曲の多くがどれも軽やかな台詞に聞こえてしまっていて、数十曲も使われていたとは思えないくらいだったから。 (ちょびっと飽きて耳のツボを閉じていたところもあるかもだが) 
お気に入りはルーシーの「二度と会えなくても、私のことを忘れても、愛がきっと導くわ~♪」とマークヒースが去った後に歌う部分。 その後被ってくるポーリーの「ホーホー、デリデリ...アンボラ♪」の歌声。 しっとりと、聴かせるのと同時に時代背景が浮かんでくる厚みがあった。 

帰りに通り過ぎたDVD予約テーブルは遠目で見ていた係りの人も驚くほどの人だかり(耳ダンボの私)。 
たぶん次回はその中のひとりになりそうな予感。 
18世紀のロンドンが21世紀の東京にワープして融合していく快感に浸れるかどうか...
楽しみでもあり体力が持つかどうかちょっと心配でもある。

(この回、完)

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【参考記事】
金田龍之介インタビュー:ZAKZAKより
役者であることを楽しまれている様子が伝わってくるインタビューです。

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コメント

歌に関しては確かにセリフの延長のようですね。
トムがセリフの中で“アリアもレチタティーボもありません”と言ってたくらいですから、
『歌い上げ』系のものはあまり感じられませんね。

ですけど、おいらとしては♪~さんがおっしゃっているポリーとルーシーの掛け合い(アンボラ?と女ぎつねの願い)や
マクヒースが最初に登場した時の歌とか、ピーチャム&ロキットの”ぶら~んぶら~ん”(首吊りのこと)と歌うのが印象的でしたね。
この時代の音楽とかが好きなのも原因のひとつかもしれませんけど…

投稿: くまのすけ | 2006-01-20 23:28

くまのすけさん>
曲名ありがとう~♪
音楽や楽器に関してもほとんど知識がない私...
機会があったらいろいろ教えてくださいませ m(_ _)m
18世紀の台詞なのに現代にも何かしらぴしゃりとはまるところがこの作品の魅力なんでしょうね。最初のトムの台詞も何やら現代でもいろいろ想像しちゃいますね。 
当時の楽器の音色、私も好きです。 シンプルだけど響きが耳に優雅ですね。
さてさて2回目観劇後、お気に入りの曲がひとつ増えたけれど、歌詞もシーンもすでに霧の中の私です(涙)。 

投稿: ♪~ | 2006-01-21 04:22

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