『ひばり』 千秋楽
『ひばり』千秋楽をBunkamuraシアターコクーンにて。
中央に大きな十字架と左右に飾られたジャンヌ・ダルクの肖像画。
四角く切り取られたかのような舞台は戦いの場の象徴だそうだが、開演後、まだ席に着きそびれている観客の間をぬって出演者たちが続々と舞台の周囲に集まってくる。
衣装を着ける者、軽口を叩きながら席に着く者...
その四角い舞台の三方には傍聴席が据えられ、出演者たちが陣取っていく。
と、まるで『ベガーズ・オペラ』のような舞台の雰囲気。
ただし、この舞台の左右の席に居るのは素人の観客ではなく、ジャンヌ・ダルクの裁判を見届ける演じ手の人々である。
また、群集でパワーを発揮させた『タンゴ、冬の終わりに』のオープニングにも勝る濃厚なエネルギーを舞台から感じた。
初めて知る作家、アヌイの描いたジャンヌ像には最初ちょっと面食らった。
これは人間の確信を鋭く見つめた恐ろしい物語だ。
異端審問官が動くのも道理。 彼らがもっとも恐れるものをジャンヌは持っていた。
そしてまたこれは、通常のヒロイン・ジャンヌ・ダルクを扱った歴史劇ではなく、ジャンヌという特異な状況を経験した少女の無垢な意志と、矛盾と欺瞞に満ちていることが必然とされる社会との対決の物語でもあろう。
その物語は、まるでリングにあがっているボクサーのトレーニングウエアのような出で立ちの松たか子演じるジャンヌによって時を飛び越し、リアルな現代に繋がっていく。
果たしてジャンヌは自分の為に人を惑わし戦争を指揮した利己主義な扇動者なのか?
その答えは火炙りの刑を選んだジャンヌの姿に鮮明に見ることができる。
しかしそのシーンを遮り、この物語はまだ全部語られていない、と巻戻しをかけられ演じられる戴冠式のシーン。 シャルルの隣に毅然として旗を掲げ立つジャンヌがすべてを物語っている。
ひとりの意志だけで、この仕事を成すことはできない。
アヌイと蜷川のジャンヌは常に戦う者である。 たとえ親しいお友達のような乙女として描かれていたとしても、だ。
作品は二幕に別れているが、 後半ががぜん面白くなってくる。
全体には笑いも入るような重過ぎない構成であり、あくまでも身近な乙女ジャンヌが描かれている。
普段はちらちらと日本的な甘さが漂う蜷川演出だが、この作品は微妙なバランスを保ちながらそうした変な甘さから逃れている。
全編を通して舞台上に役として存在し続けなくてはならない、登場人物たち。
松たか子は一歩間違えば単なる子供っぽい夢想家になりそうな危うい役を上手く切り替えしながら生き生きとこなしている。
「ラ・マンチャの男」、「メタル・マクベス」と観たが、今回が一番いい。
そして彼女の役者としての力量がよく見えた芝居だ。
男たちに小突かれたり吊り上げられたりする小柄なジャンヌ。
その自らの体を使っての自在な重力の表現力にも目を見張る。
舞台には松たか子という個人を超えて幾重にも重なり合ったジャンヌ・ダルクという人物が居るのみだ。 そして彼女が生まれ持っている品の良さが、透明感のある処女ジャンヌ・ダルクの魅力に付加価値である輝きをさらに加える。
ジャンヌという人物を演じることは誰でもできよう。 しかし、この体から放つ輝きを持ち合わせている役者は少ない。 そういう意味でも松たか子のジャンヌは稀少。
ウォーリック伯爵:橋本さとし。
普段から日本人離れしている容姿、体格や声から英国人の貴族役はここでは適役。
もっといやらしく堅くスノッブでもいいくらいだが、表に直接感情を出さないのが貴族でもある。 私が普段持っているイメージからは特にあまり離れていないのだが、さらに深めている感じ。 手に持つ薔薇の花一輪...お似合いです。
異端審問官:壤晴彦。
この人は知る人ぞ知る、声の先生。
そして蜷川ゴールド・シアター構想の先駆けを作った人。
もちろん自らの声も美しく、流れるような長い台詞もアクセントも完璧。
ただし癖もなく完璧であるのにどこか背後に浪花節を感じてしまったのは、この人が言葉を通して日本に深く携わっているからなのかもしれない。
設定では老齢であると思われるが、あまりにも声が美しく若い老人である。
ジャンヌという存在によって「胸が痛む...」と嘆く後半の短い台詞では、そのハートの悲しみがずっしりと劇場を覆っていった。
シャルル:山崎一。
客席にジャンヌと走りこみながら、かつら取れちゃいました♪
ハプニング?と思いきや、どうやら仕込んだ芝居らしい。
「かつらが、かつらが...」と、おろおろしながら笑いを取ってましたが。
王位継承者の憂鬱がよくわかる、とても自然体に見えるシャルル。
死刑執行人:飯田邦博。
役の上でのすざましい容姿にまず圧倒され、そして火炙りという猟奇的趣味のあるような仕事に付いている異様な重さの存在感がすごい。
ジャンヌの家族。
ちょっと関係が希薄な感じ。
それともそうした希薄な関係性というのがここで描かれている血のつながりの家族なのかもしれないが...
特に母親は役が十分に飲み込まれてない違和感あり。
どこか借りてきた母親という感じ。 家族から浮いている娘を持つ母親としてはもう少しどっしりした存在が出ていてもよいのだが、逆に浮いた感じあり。
コーション:益岡徹。
ジャンヌを教会に戻そうと尽力する司教、出番も台詞も長いのだが、今ひとつ人物像がはっきりしてこない。 仮にそういう役だったとしても、司教の核が定まってない感じ。
この司教という存在自体が日本人には掴みきれない役職なのかもしれないが、う~む、である。
役者本人がかもしだす、どこか曖昧さのある雰囲気にだけこの役を負わせるのには難しすぎる。 この人独特の声が今回の長台詞ではかなり聞き取りにくさが先にたち、さらに評価を厳しくしてしまうのが残念だ。
非常に難しさがあらわになった役。
『ひばり』を観るのは初めてで比べるものがないのだが、今回の蜷川演出の『ひばり』は先に書いたように変な甘さのない芝居のわりに、全体が非常にわかりやすく易しい作品になっていたのではないだろうか。
わかりやすく見えるということはイージーとは別のものであり、各出演者共に深く掘り下げて演じられた作品の賜物という気がする。
ただし宗教観が曖昧なこの国においては舞台で起きている論争が伝わりにくく感じられる。それは体が奏でることができない歴史的文化背景の違いによるところが大きい。
パンフレットには精神科医のコメントとして”人たらしの説得力のあるジャンヌ”ということが書かれていたが、現代的な視点からちょっと切り取ってみただけ、の解説となっているのは専門家のコメントだけに残念である。
そしてもし、今回の作品がそうした視点寄りで描かれているだけならば、なおさらに残念だが...さぁ、そのあたりの本当はどうでしょう。
演出家の姿勢はどこまでも時代の反逆者ですからネ♪
【余談】千秋楽ということで最後に舞台後方からドーンという何かを打ち上げる大音響と共に沢山の赤と銀のメタリックのリボンが散って舞台を飾りました。 出演者も本気で大音響にびっくり。
客席にはメタマク関連で北村、森山のお二人、そして染高麗屋、次回蜷川作品の原作者の姿も。 蜷川演出作品は客席もいつも賑やかそうですナ。
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ナウシカっぽい気もする...蜷川版ジャンヌ・ダルク...
【作】ジャン・アヌイ【翻訳】岩切正一郎【演出】蜷川幸雄
【出演】ジャンヌ:松たか子/ウォーリック伯爵:橋本さとし/シャルル:山崎一/検事:磯部勉/アニュス:小島聖/王妃:月影瞳/父:二瓶鮫一/ボードリクール:塾一久/タ・トレムイユ:久富惟晴/母:稲葉良子/ヨランド王太后:阪上和子/ラドヴィニュ師:横田栄司/ラ・イール:妹尾正文/死刑執行人:飯田邦博/兄:堀文明/大司教:品川徹/異端審問員:壤晴彦/コーション:益岡徹/他
【上演時間】 3時間20分 (14:00~17:25)
1幕:1時間35分 / 休憩15分 /2幕:1時間30分
【ストーリー】Bunkamura公式HPより引用
"百年戦争と呼ばれた長い戦争終結の糸口をつくり、祖国を救った19歳の少女が裁判にかけられている。
何の専門知識も経験もないまま17歳で軍隊の先頭に立ってイギリスと戦い、連戦連勝を収めた戦歴、13歳の頃から何度も聞いた「フランスを救え」という神の啓示、それに伴って彼女が起こした奇跡。それらすべてが、イギリスとフランス、政治と宗教、大人達の虚栄心と欲望によってかき消されようとしていた。
法廷で自らの半生を演じさせられている男装の少女の名は、ジャンヌ・ダルクー。"
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コメント
TB有難うございました。早速TB返しさせていただきましたm(_ _)m
私も初アヌイでけっこうとまどいながらも引き込まれて観てしまいました。神が見えるとか見えないということは実は二の次で、ジャンヌが自分のしたことに最後まで誇りを持ち続けたことから異端扱いを拒否して堂々と死んでいったというドラマ性が面白かったです。火刑台の上で十字架に頬ずりする場面ではちょっと引いてしまいましたが(笑)
その火刑台で終わるのではなく、戴冠式の絵のように綺麗な場面で終わってくれたのもとってもよかったと思いました。風になびく軍旗を持って立つ松ジャンヌ、本当に凛々しく美しかったです。
松たか子はこういう透明感のある役は今はハマリ役ですが、大人の女優に脱皮できるかどうかを見守っていきたいです。
>壤晴彦。この人は知る人ぞ知る、声の先生。
最初は狂言をやってらしたようで、それが基礎にある素晴らしいお声です。「癖もなく完璧であるのにどこか背後に浪花節を感じてしまった」ということですが、ただ四季のメソッドだけでなく、狂言の発声が元にあるためではないかと思われました。
今月の蜷川さんの舞台はさい芸のオールメールシリーズの喜劇を観ます。「間違いの喜劇」がよかったので楽しみにしているところです。
投稿: ぴかちゅう | 2007-03-03 19:59
ぴかちゅうさん>早速ありがとうございます。
そうですか、十字架に頬擦りは引きましたか^^;
その辺りは信仰の違う土壌での感覚のギャップかもしれませんね。
ジャンヌが火炙りをも恐れなかったのは、その信仰心の厚さからだったろうと思いますからあの十字架へのキスシーンが入ることで犠牲者ではなく勇者としての姿が強調されたようで、見ている側としてもちょっと気持ちにワンクッションできた気がしました。
たぶん松たか子はこのままその透明感を失わずに歩んでいけばいいのだろうな、と思って見ています。
壤さんは、新劇などの和物の情感も得意な方とお見受けしていますので、その辺りが発声法だけでなく身から発散される空気として感じられたのだと思います。チラシも入っていましたが、坪内逍遥の訳でシェークスピアでしたっけ?教え子さんたちの発表公演もされるようですね。日本語を非常に大切にしている方ですね。
次回の蜷川作品は北村一輝見たさに予定していたのですが、ちょっと休憩することに決めました。
投稿: ♪~ | 2007-03-03 22:30